文学ガールじゃないけれど

本読んで感想書いていきます

いつから勤勉は美徳になったか

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神マックス・ウェーバー著 大塚久雄訳 (岩波文庫

 

 小飼弾の本で、プログラマ美徳(短気・怠惰・傲慢)について言及があったが、それを読んだときに思い出したのが、ウェーバーの本書。大学時代に読んだっきりで、もう数年間読み返していなかった。細かい論理展開とかはほとんど忘れているので、本当は感想を書く前に読み直さないといけないんだけど、とりあえず当時の記憶を頼りに書いていく。

 

 勤勉は、今も当たり前のように美徳とされている。朝は上司の誰よりも早く出勤し、サービス残業を厭わず、休日も「仕事のため」に十分な休養を取ったら残りの時間はスキルアップのために有効に使う、などなど。強制の度合いが多かれ少なかれ、勤勉な態度を見せろという圧力は、働く人なら誰でも感じているだろう。

 じゃあ人類は縄文時代、イノシシやシカを追いかけていた頃からずっと、勤勉こそ善だと考えてきたのだろうか。実はそうではなく、今の資本主義体制の下で求められている勤勉さは、もとをたどればキリスト教徒(なかでもプロテスタント)が持っていた宗教的性格そのものなのだ。プロテスタントの禁欲的で勤勉な性格が、資本主義ととても親和性が高く、その結果資本主義が発展し、今の社会ができた、というような話をウェーバーはしている・・・はず。きっと。

 

 勤勉が美徳というのは、普遍的な常識ではなく、「※ただし資本主義発展の観点から」みたいな、注意書き付きの信仰なのだ。今はやりの、女子は頭なでなでを喜ぶ(※ただしイケメンに限る)みたいなものかと思うと、自分が信じている常識の脆さに驚いてしまう。「勤勉=美徳」以外にも、自分がなにげなく常識だと思っていることを、一度総点検してみたい気持ちになってきた。

  それにしてもこの常識をひっくり返される快感、何かに似てると思ったら、少し前流行ったドラマ「リーガルハイ」の古美門先生を観たときの快感にそっくりだ。そういえば古美門先生も、常識をバッサバッサひっくり返してくれたっけ。

 

<追記>

 もし今後、ハウスワイフ2.0現象が世界的に広まることがあったら、「モルモン教徒の倫理とハウスワイフ2.0の精神」は私が書こう♪

 モルモン教徒はプロテスタントと違って母数が少ないけど。もしもモルモン教徒の母数がプロテスタント並にあったら、彼らの信仰と親和性の高いハウスワイフ2.0現象って、もっと爆発的に広まったりしたんだろうか・・・。